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英語教育ひとりごと 著:林 節

 江戸時代末期より、日本には国家上層部から、リベラルで孤高の作家に至るまで「英語」というものに興味を持つ人の多かったことが今となっては奇妙である。何故ならわが国は現在、コミュニケーションとしての英語に関しては「国際的に」というより、アジア諸国の中でも大きく後れを取っていることが明白であり、かつて「大阪でオリンピック開催」を目指したケースでも、実は英語会話力の低さで北京に負けたというのは知る人ぞ知る事実でもあるからだ。つまり今だにそれ程の「後進国」なのだから冒頭の如く、奇妙と言いたくなってしまうのだ。韓国の大統領が先日「日本の経済は一流、文化は二流、政治家は三流」と言った。(英会話力はどうなのかな?)
 この状況はようやく国じゅうで認識され始め、国家的改善に向かって種々の行動がスタートした。もう20年は越える。それまで国民のほとんどが”I am a boy.”=私は少年です、”This is a pen.”=これはペンです のごとくの珍奇な文章、そして文法中心の「学問」として「勉強」させられて来た。実に 【読み 書き ソロバン】の伝統そのものである。これではいかん、とようやく気付き、文部省(後には文部科学省)が主導し、いわゆる《識者》にお伺いを立てて改善に努めることになった。そしてその結果が “How are you?”“I’m fine, thank you. And you?””I’m fine too,thank you.””Nice to meet you.””Nice to meet you, too.”・・・・・と続く昨今の「決まり文句」であり、ここに国じゅうの英語教育業者、教材業者がドッと群がり、全国の書店の本棚には目まいする程多くの書籍、教材が氾濫する状態となった。で、教育成果はどうか?ここまでの変革たるや極めて怪しいもので、その改善点のバカバカしさは殆ど顧みられないまま疾走しているから成果は上がるはずなどない。具体的な一例は先に挙げた代表的な文例「ご機嫌いかが?」「私は元気、聴いて下さってありがとう。あなたの方はどう?」「私も元気」「はじめまして=お会いできてうれしい」「私も」などで、日本の子どもたちが日常的に日本語で喋るべくもない内容なのだからやはりこれも「学問」となってしまい「難しい」ことになる。たび重なる教育審議会などの「改革」にもかかわらずその教育は挫折に挫折を重ね、ごく一部の特殊な教育機関(主に私立)が輩出した人材を除いて成果などはゼロに近い。極論ではなく、とっくに頓挫しているのだ。文科省発行の「紙類(かみるい)」は次つぎ破棄され続け、数年前に同省が鳴り物入りで出した全小学生向け図書「英語ノート」すらいまや死に体(たい)(ある公立小学校長)という。以下各自治体の実情は目を覆うべきもので、これを憂うだけの力を持つ人すらいないという絶望的な現実だ。時折英語力の進歩を自讃する役人、教育者もいるがほとんどは私塾の成果をかすめ取るようなものに近い。
 今のべた種々の事を実感したいなら公立小学校の職員の誰かに尋ねてみればいい。「あなたの学校に来ている外国人ALTは何人目?」「何年続いてる?」と。人数も勤続時間も笑うしかない実情を知ることになるだろう。このような時期にまたまた珍奇ともいうべき提案が政府・自民党サイドの無責任老人達から飛び出し、何とこれに国を代表する諸大学の名だたる教育専門家たちが緊急の「反撃狼煙(のろし)」を上げ始めたのである!
 アポロ11号月面着陸の際、同時通訳として国際的な活躍で顔と名前が知れ渡った鳥飼玖美子さん(現立教大学教授)と大津由紀雄氏(明海大/慶應大)、江利川春雄氏(和歌山大)、斎藤兆史(東京大)の4人、それぞれわが国の英語教育の牽引者たちが怒り心頭に発しているのだ。知的レベルが高いので言葉遣いには気をつけておられるが、それでも緊急出版した書名は「英語教育、迫り来る破綻」というのっぴきならぬ事態を案じていることを示したもの。20年やって来た同じような愚はもうやめよう、反自民だからこういうことを言うのだと誤解されるのは損だけれど、と前置きしながらも、今回自民党「教育再生実行本部」による「成長教育に資するグローバル人材育成部会提言」や政府の「教育再生実行会議」そして悪名高い「臨教審」の老人たちの「思いつき」に地団駄踏んでおられる。
 きっかけは政府、自民党の一部の政治家の理屈「長年の日本の英語教育では国際競争の場では役に立っていないのでこれからは【聴ける、喋れる】つまり国際競争力をつけさせるための英語力を身に着けさせよう」と言い、そのために「大学入試センター試験」を見直し、TOEFL等の一定以上の成績を受験資格及び卒業要件とする、というものである。これがいかに「無知な老人たちの適当な思いつき」であり国の英語教育の明白な破たんに突入する恐れについて先の先生たちが1冊の本に凝縮したものだ。書けば長くなってしまうので、書物は後述するが要旨は次のとおり。
 TOEFLはアメリカ留学を目指してやって来る世界の青年たちがあのスピードの英語での授業について行けるかどうかを見定めるための「診断」であり、単語数、文章ともにレベルが格段に高く、現状の日本の学生レベルでは入試、卒業とも及ぶべくもない、つまり 「テスト=力を見る」 の目的がおよそ違うものなのだ。
 政府が次々繰り出す「有識者会議」や「諮問委員会」なるものの怪しさは長年囁かれているが、それぞれの専門筋から見れば随所にこの種の事どもが蔓延しているのだろうか。

ひつじ書房 2013年10月 「英語教育、迫り来る破綻」  表4から 「大学の入試や卒業試験にTOEFL等の外部検定試験を導入する案が、自民党教育再生本部や政府の教育再生実行会議によって提案された。しかし、もしそれらが現実となれば、学校教育が破綻するのは火を見るよりも明らか」

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